川村透の週刊ブログ

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2006年05月08日

204.人の死とは?

連休中に、親戚のお見舞いにいった。
おじさんの奥さんで、年は60代。元気だったのに。いまはいわゆる「植物状態」だ。もうこの状態になって半年以上が経つそうだ。ある日の夕方、「お父さん、頭が痛いの」といったきり、倒れこんで、救急車で病院に運ばれ、脳内出血で即手術。そのとき以来意識はない。

病院のベットで、彼女に対面した。
目は開いている。自力で呼吸もしている。たまに自分で頭を上げようともする。手を握ると、握り返したりする。ただ、意識はないのだ(少なくとも、外からはそう見える)。目の前に手をかざしても瞳孔は反応しない。
旦那さんは、いつかは回復してくれる、と思って、車で3時間かけて、月に2回ほどお見舞いにくる。
入院費の自己負担も、月に15万円ほどかかる。
もし、皆さんの奥さんや両親が、こういった状態になったら、どうしますか?

これはとても難しい問題だと思う。
通常、この状態が1ヶ月以上続くと、回復の見込みはないとされるが、でも万に1つくらいの確率で、意識が戻った、というニュースなども聞く。家族はその可能性にかけたくなるのも当然だ。
だが、一方では、経済的、精神的負担が、残されたものに重くのしかかる。

でも、この治療を、周りの者が勝手にやめてもいいのだろうか。彼女の場合は、自力で息はしているので、点滴をやめる、ということになるのか。しかし、それは殺人になるのではないか。
「人は、自分の意思があってこそ人たる」とすれば、意思を表明できなくなったら、人ではないのか。
では、「意思がなくても、体が生命を保っていれば人である」とすれば、このままずっと、体力が衰えるまで介護を続けなくてはならない。

介護を続けるにしても、やめるにしても(やめることなんてできるのか?)、これは大変難しい選択だ。
僕がこのご主人の立場になったとしても、どうしたらいいかわからない。
おそらく、彼女の回復を信じ、できる限り介護を続けることになるだろう。

人は誰でも安らかな死を望んでいる。しかし、いつ何が起きるかわからない。不幸にして、自分がそういう状態になったときのことを考えたら、どこかに自分の意思を明らかにしておくことも大事だなと思ったので、いまこのブログにとりあえず書いておこうと思いたった。
今の時点での僕の意思はこうだ。
「1年待って、意識が戻らなかったら、延命措置をやめてくれ。ありがとう」

数ヶ月前、尊厳死云々のニュースを見たときは他人事にしか思わなかったのですが、今回、改めて自分事としてとらえたとき、「人として生きる」ことの意味を考えさせられた一日でした。

同様の患者さんを抱えていらっしゃるご家族の皆さんのお気持ちを心よりお察し致します。こういうとき、なんて声をかけてあげたらいいんだろう。「頑張って」じゃないし・・・。これは繊細な日本語でも、言葉にならない感情ですね。

2006年05月08日 10:44

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