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2010年06月15日
一周忌位牌騒動
先週、叔父の一周忌に京都の東山浄苑にいってきました。法要ってものは、あまり縁のない私、信心深くもないのですが、内心それではいけないと思い、こういうときだけは神妙になるのです。お葬式、法事っていうのは、ある意味とてもおもしろい。すべてが新鮮なのです。しきたりとか”こうするもの”って決まっていることを、その言われや理由を聞くたびに「ほー」っと感心することしきり。
こんなことがありました。
本堂での供養のあと、叔父さんが眠っている集合型の納骨堂(マンションみたいなものですな)にいき、観音扉を開けたのですが、あれ、お位牌がみあたらない。祖父母のはあるのですが…。そこは小さなお仏壇の下にカギのついたロッカーみたいのがあり、もしや納骨したときに一緒にいれてしまったか。母に聞いても親戚に聞いても「?さぁあね」と首をかしげるばかり。仕方がないので、受付にいって「すみません、鍵もないんですが、中を確認したいんで開けてもらえますか?」
すると受付の女性は渋い顔。「はあ…ちょっと上のものに確認してまいりますので」
(ただ合鍵使ってあけてくれればいいのに。そんなに大ごとなのかしらん)
と思っていると、戻ってくるや
「あの、下のロッカー部分はですね、一応、お墓でいう土の下になりまして、納骨時以外は開けないことになっているのです」
「えっ土の下!そ、そうなんですかあ」
そうだったんですね。集合住宅みたいな感じなので、下段ロッカーがそれほど大事な意味をもっているとはつゆ知らず…。結局、受付の方に代理で開けてもらい、中を見てもらったのですが
「一応確認しましたがお位牌はありませんでした…あの、もしかしてお探しのは白木のものですか?」
「そ、そーです」
「あの白木の位牌は、実は四十九日までの仮のものでして、もしかすると納骨時にこちらでお預かりして、お焚き上げにしたかもしれませんね」
「あー、そうだったかもしれません」
なるほど。これでお位牌がない謎が解けました。
もっとも、浄土真宗はお位牌を使わないそうです。なぜなら、浄土真宗の教えでは、人は死後、すぐに成仏できることになっているから。位牌というのは、供養することであの世にいった故人が成仏するという考えだそうです。また、浄土真宗は、先祖供養を必要としない教義だとか。ある意味合理的な教えなのですねえ。
位牌って、位(くらい)の牌(ふだ)という意味がある。確かに戒名で、偉い偉くないの差があったりしますよね。これって平等説の仏教にふさわしくないのでは!?と思ったりもします。この世では社長と平社員でも、あの世では同じ位のほうがいいぞ。
浄土真宗では、位牌の代わりに過去帳を使います。これは、いわば”先祖死亡記録ノート”みたいなもの。供養のときはこれを前において祈るんですって。位牌よりもハンディでエコでいいですね。
宗教にまつわる慣習、しきたりって、いろいろ発見があって面白い。今度お坊さんにぜひお話を聞いてみたいです。しかし、いつも法事で思うのは、お坊さんが唱えるお経。あれって講演みたいなものですよね。しかも、その講演料がめちゃくちゃいい。一回唱えれば安いネットブックが買えるくらいですよ。お坊さんていい商売ですね。おっとそんなことをいっちゃあバチがあたります。いや、お坊さん、本当はとても尊敬していますよ。南無阿弥陀仏。
2010年06月15日 17:35
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